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新疆亡命政府の成立


    とうとう、という感がある。中国の新疆ウイグル自治区出身の亡命ウイグル人たちがトルコのアンカラで亡命政府を設立したという。(『明報』インターネット版、1998年12月14日「新疆異議組織成立流亡政府」)所在地のトルコ政府にかかる迷惑やその他もろもろの事情を勘案して、当分は「亡命政府」とはいわず、「民族センター」という名称を用いるらしいが、実質的には亡命政府である。
   「新疆」は中国語(漢語)である。漢人ではないウイグル人たちが自らの故土をもちろんそんな名で呼ぶはずがなく、彼らにとって故郷は東トルキスタンであり、その意味のウイグル語で呼んでいる。英語ではEastern Turkestanである。周知のとおり、彼らはトルコ系の民族である。
   中国政府は早速、自国による新疆支配は合法的なものであり、国際社会から承認されたものであり、新疆は古代から中国の不可分の領土であるとの声明を発表している。(Reuter, December 18,1998, "Xinjiang Rule Defended as China Says Attempts to Split Motherland Doomed")
   中国史をすこしでも知っている人間なら最後の説明が歴史的事実ではないことはすぐにわかる。たとえば後漢時代(紀元25-220)の約200年間には、新疆(西域)は「三通三絶」といわれて、不可分の領土どころか、時の中国政府とは交渉も断続的にしかなかった。中国(共産党)の公式の歴史解釈からいっても後漢は古代のはずである。また、宋代(紀元960--1279)にいたっては、当時からまったく中国の領土外と見なされていたのである。例はこまかくいえばまだあるが、これら二つだけでも500年である。中国の歴史3000年、大きく見積もって4000年としてもそのうち少なくとも4分の1の期間をしめる部分を無視するのは穏当ではない。
   第二の説明はもっと無茶である。多数の承認と事の善悪は関係ない。認めているほうが間違っているだけの話である。(第一の説明はコメントする価値もない。このエッセイを書いている現在、政府と意見の異なる人間を弁護士なしに裁判にかけようとしている国家が、合法うんぬんを口にできるのであろうか。)
   話を戻すが、この出来事は今年の10月に米国のニューヨークで開催された中国少数民族の大会と関係があるのかもしれない。あるいは、その帰結かもしれない。この大会には中国国内に存在する諸民族が集まり、そこで参加者は中国政府が彼らに行っている抑圧あるいは弾圧や不平等な扱いを非難した。(AP, Nov.18, 1998, "Everyone Knows about Tibet, but how about the Uighurs, Mongolians")その席で、ウイグル人をはじめとする諸民族は、チベット人の民族運動の成功をあらためて確認し、その成功には国際的な認知と支持が大きな役割を果たしていることをあらためて痛感し、同時に自分たちの活動のその方面における不十分さを大いに反省したらしい。おそらく、チベット人のように亡命政府をもうけた方が有利だという判断におちついたのだろう。
    ところで、この会議には内モンゴル自治区のモンゴル人(もちろん国外在住の)も参加している。彼らは米国で1997年3月に「内モンゴル人民党(Inner Mongolian People's Party)」という政治団体を組織している。元来、「南モンゴル民主連盟」という組織が内モンゴル自治区内に存在していたのだが、あらたに国外に新組織を設立したことになる。チベットやウイグル人の例から見て、その目的はあきらかである。すなわち、運動の国際的な承認と支持の獲得である。最終的な目的はもちろん、独立である。同党の規約にははっきりそう書かれている。(内モンゴル人民党のホームページは http://members.aol.com/imppsite/index.htm
    この組織は今月の10日、すなわち国際人権規約50周年の日にニューヨークにある国連本部のまえで集会をおこなった。12日にはタイムズ・スクエアで別の抗議活動を開催したはずである。
   こちらの不勉強のせいかもしれないが、内モンゴルのモンゴル人民族運動は近年活発になってきたという印象が拭えない。
   内モンゴルのモンゴル人のおかれた状況についてはあまり報道されていないが、見方によっては、いま述べたチベット人やウイグル人よりも彼らの方が厳しい立場にあるといえる。確か内モンゴル自治区のモンゴル人が同地域の総人口にしめる割合は2割程度しかない。後の8割がほぼ漢人であることはいうまでもない。しかもモンゴル人の割合は徐々に低下しつつあり、文化的にも漢人のそれに同化しつつあるという。これでは内モンゴルのモンゴル人たちが自民族消滅という大変な危機感を感じているとしても不思議ではない。
   今後、チベット人やウイグル人の活動に歩調を合わせて、彼らの運動は活発の度を加えていくかもしれない。先にふれた10月の大会では、中国における抑圧された民族間の協力を深めることも話し合われたのである。

 

(1998/12/16)

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