ふるさとの話題なら事欠かない。春に帰郷したとき牧草の残っていないふるさとに心を痛めたが、夏に帰ってみると信じられないほど回復した緑あふれる故郷の風が頬に心地よく、気分がすっかり良くなった。3年も干ばつが続いたふるさとは今年の雨で回復し、牧民たちは「大丈夫そうだ」という信念ももったようだ。その一方で、雨の多い年には流域が洪水になるイミン河が辛うじて涸れず、力無く流れているのを見ると心が痛んだ。ホショー(旗)レベルの指導者らは、この原因は上流のヒャンガン(興安)嶺の森林を切り開き木材を大量に伐採したことと関係があり、状況を改善するためにはイミン河にダムを建設する必要があると考えている。私は心配になり、エジネ河の下流域に住むモンゴル人たちがダム建設によっていかに困難な状況におちいったかという例を引きながらできる限り建設を止めるように進言してみたが、もちろん私ではなく指導者らが決定することである。最終結果がどうなるかなど、どうしてわかるだろうか。
ひとつうれしいことは、80年代から開墾してきた畑を、ホショー(旗)が休耕させる方向に動き始めたことである。もちろん、休耕にしても復元するのは困難なことである。それでも、畑と言えば化け物を見たように嫌う牧民たちが、この事業に積極的に参加しているのを見て、母なる自然を保護してきた遊牧文化は正にひとつの奇跡だと思われた。遊牧文化が存在する限り、内モンゴルのモンゴル人の未来は明るいということに疑問の余地はない。その一方で、自文化のことが理解できないモンゴル人たちが「定住すれば発展する」などと、まるで白ミサゴのように軽挙妄動するのはどういうことなのか。よく目を凝らしてみると、目が見えないモグラのように土壌を掘り返す農耕文化の力は、ある意味有害なものである。2つの文化の狭間でいったい誰が損をするのかなどということは、質問する必要もないな。この手紙はこの辺にしておこう。
(2002.9.10付メールより,
原文はラテン文字モンゴル語)