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バトザンガー氏、妻・娘と(2009年、ウランバートルでUNHCRによる亡命を求めていた) |
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オルドス・モンゴル・チベット医薬学校の学生たちの休み時間風景。学校は、バトザンガー校長が中国からモンゴルへ逃亡後すぐに閉校になった。 |
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南(内)モンゴル出身でオルドス(鄂尔多斯)・モンゴル・チベット医薬学校前校長のバトザンガーが2013年4月13日、広州市で逮捕され、その日のうちに中国逃亡未遂容疑で妻バヤンホワルと2人の子供たちと共に出身地のオルドスに送還された。
同氏は家族と2週間勾留された後、オルドス公安庁によって懲役3年(2013年4月27日~)の実刑判決を受けた。
バトザンガーは2009年5月、妻、娘と共に、学校校庭の非合法の没収に抗議するためデモを計画したことで、自分たちの身に起こる可能性のある弾圧を避けるため、妻と娘を伴って中国からモンゴル国へ逃亡した。
バトザンガーは2009年10月、難民の地位申請中にウランバートルの国連難民事務所ビルの正面玄関前で逮捕された。バヤンホワルと9歳の娘チルグーンもそのすぐ後、ウランバートルで逮捕された。家族は翌日、中国に送還された。逮捕・送還は、モンゴル・中国両政府の協力で、中国警官4名とモンゴル公安職員10数名によって秘密裏に実行された。
2011年1月27日、バトザンガーに、オルドス市東勝区人民法廷により「特別基金の流用」という罪状で懲役3年、執行猶予4年の判決が下りた。同氏は、法定で無罪を主張している。それ以来、同氏と家族は、軟禁状態に置かれている。
「4月13日午前11時頃、フフホト(呼和浩特)の警官6名と広州の警官10数名が私たちのホテルの部屋に押し入って私たちを逮捕したのです」とバヤンホワルが南モンゴル人権情報センター(SMHRIC)に語った。「生まれて初めて大勢の警官を見て、1歳の息子はとても怖がって大声で泣き叫びました」。
「警官は、家族全員を一人ずつ洗面所へ連れて行って徹底的に調べました。13歳の娘と1歳の息子も洗面所に連れて行かれ、外国人と連絡を取るのに使う可能性のある携帯電話を隠していないか調べました」とバヤンホワルが付け加えた。彼女によると、中国当局によってバトザンガーに対して出された主たる罪状は、広州で外国の役人との会談をアレンジしたことだという。
私たちがオルドスに送還された後、私と子供たち対する取り調べ中、当局者は夫と外国の役人の面談の容疑について徹底的に尋ねました」とSMHRICが逮捕に対する当局の理由について聞くと、バヤンホワルは語りました。「私はそのような面談について全く知りません」。
さらにその事件について調査するため、SMHRICはバトザンガーの弁護士であるフフボラグに連絡したが、上海に出張中であった。
「私は、バトザンガーの広州への旅については知りませんが、彼の逮捕と勾留について聞いています」。フフボラグは、2013年5月12日頃バトザンガーと家族を訪問するつもりであることをSMHRICに伝えた。
「私がモンゴル人クライアントの代理人を引き受ける時には、中国で法律を生業にする一般的な困難に加えて、モンゴル人弁護士としての私は、さらに特別な要素に対処しなければなりません」とSMHRICに語った。
南モンゴル反体制被告の弁護士として要注意事件に関わったため、フフボラグは中国当局によって「国家の安全を脅かす人物」リストに入れられ(詳細は以下のサイト参照。http://www.smhric.org/news_306.htm)、バトザンガーの代理人をしないよう当局から警告を受け、脅されもした。
「とにかく、私はまだバトザンガーの法定代理人です。きちんと解決するまで、彼の事件を扱うのは私の義務です」と、フフボラグは中国当局から強い圧力を受けているにもかかわらず控訴審の準備をする決意をかためている。
バトザンガーは現在、オルドス市東勝区拘置所に収監されており、家族の面会が厳しく制限されている。
「私は4月28日、一度だけ夫に面会することを認められました。夫は、背中で手錠をかけられていて、私たちはインターフォンが切れるまでの約10分間、厚いガラス越しにインターフォンで話しました」とバヤンホワルは語った。彼女は、夫の健康状態と、刑務官や他の収容者によって夫が拷問されることを心配している。「夜中に恐ろしい電話がかかります。マフィアが私たちをバラバラに切り刻みに向かっているという電話です」と2人の子供と共に当局による軟禁状態にあるバヤンホワルが心配そうに語った。 (敬称略)
(原文)http://www.smhric.org/news_484.htm
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