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内モンゴル東部におけるモンゴル系住民と中国当局との衝突に関する追跡情報
2005.9.25
南モンゴル人権情報センター(SMHRIC) 2005年7月26日 ニューヨーク
報告書全文は、当センターのサイトにてご覧下さい。http://www.smhric.org漢語版は以下をクリックして下さい。http://www.smhric.org/Chino_129.htm
1.被害者の写真は、当センターのサイトで閲覧可能。www.smhric.org
2.警察は7月23日早朝5時にふたたび村を手入れした。多くの住民が暴力を受け、エリャトーが警官に逮捕された。彼女を助けようとよりたくさんの住民が集ったため、警官は退散した。
3.フンドゥルン・ソムの匿名の職員によると、ヒャンガン・アイマグ(盟)警察は住民を弾圧するためホショー(旗)に100人の警官を追加派遣した。
4.当局は、ダフユ(達夫余)を逮捕するため必要な包囲網を敷いた。警察は、村への道路を封鎖するため全ての道路に50人以上の警官を配置した。さらに、当局は、村の電話回線と携帯電話の全てを不通にした。住民らは、夜間山にいて、放棄された農場の雑草の中に隠れている。今年は収穫がないためどのように暮らしていったらいいのか途方に暮れている。警察と暴力団は「不幸な犠牲者」(住民のこと)を連行するため、人のいなくなった村をパトロールしている。この平和な村は、国民党や日本の占領時代にさえ、このように悲惨で禍根を残す事件を経験をしたことがなかった。
5.住民のティエリンは、警官と鉱山労働者が、破壊力を試すため採掘地域に地雷を埋めて爆発させるのを見た。
6.当局と鉱山労働者が山の反対側をならして広い舗装道路を敷いたため、広い森林、牧草地などこの地域の景観が破壊された。さらに、このプロジェクトは、隣接する漢系の町に対する自然のバリアを破壊した。土地の退化、荒廃がいっそう進むと予想され、牛の損害が劇的に拡大するであろう。
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