中国の隣国、モンゴルの首都ウランバートル。5月はまだ最高気温が10度前後の日が少なくない。事件が起きた3日は特に風が強く、寒い一日だった。
この日、80歳近い老作家で、中国のモンゴル族出身の男性が拉致された。2カ月前に中国から逃れてきたばかりだった。
米国に拠点を置く人権団体、南モンゴル人権情報センターによると、拉致したのは中国の警察当局者4人。老作家を車に押し込み、大草原を突っ走って中国に連れ戻したという。
共産党の大罪
ラムジャブ・ボルジギン氏。中国・内モンゴル自治区で自費出版したモンゴル語の著作を当局に問題視され、2019年に国家分裂罪などで有罪判決を受けた著名な作家である。
罪に問われたのは、中国の文化大革命(1966~76年)の際、モンゴル族が中国政府や漢族に大量虐殺された歴史をまとめた本だった。
同センターによると、ボルジギン氏は取り調べの段階から「国家を分裂させたのは、モンゴル人を虐殺したあなたたち中国人ではないか」と主張。裁判でも「事実を書いただけだ」と起訴内容を全面否認した。
出獄した後も事実上の自宅軟禁が続いていたが、新型コロナウイルスの規制が緩和された今年3月上旬、モンゴルに脱出。同センターによると、「中国共産党がどのようにモンゴル人の土地を占領して財産を奪い、残虐行為を働いたのか」をテーマにした本などを出版したいと抱負を語っていたという。
しかし「自由に、そして平和に暮らしたい」というささやかな望みはかなえられなかった。現在は内モンゴルで拘束されているとみられている。
内モンゴルの禁書
ボルジギン氏が拉致されて中国に連行された―というニュースを聞いて、私が真っ先に思い浮かべたのは静岡大教授の楊海英氏(58)である。
ボルジギン氏同様、中国・内モンゴル自治区出身で、文革期のモンゴル族虐殺に関する著作がある点も同じだ。楊氏に聞いてみると、ボルジギン氏とは親交があり、互いの本を贈り合う間柄だったという。
楊氏がモンゴル族の虐殺について日本語で書いた「墓標なき草原」には、モンゴル語版もあるが、内モンゴルでは禁書扱いだ。所持していただけで当局に拘束された人もいる。ボルジギン氏の本も同様である。
内モンゴルでは3年前、中国語による教育を強化し、モンゴル語を排除しようとする中国共産党の政策への抗議デモが相次いだ。しかし当局によって完全に押さえ込まれた今、中国共産党の大罪を告発する楊氏やボルジギン氏の本を配布したり所持したりすること自体が「一種のレジスタンス(抵抗運動)になっている」(楊氏)らしい。
楊氏が今回のボルジギン氏の事件で受けた衝撃は大きい。
「もうモンゴルにも行けなくなりましたね」
すでに中国・内モンゴル自治区への帰郷は自粛しているが、隣国モンゴルを訪問することも危なくなったということだ。
反体制派の拘束
もっとも、中国警察によるモンゴルでの主権侵害行為は初めてではない。南モンゴル人権情報センターによると、2009年にも中国から派遣された警察関係者がウランバートルで内モンゴル出身の反体制派を拘束している。同センターでは、モンゴル政府も事実上協力しているとの見方を示す。さらに―。
「ボルジギン氏の拉致に、モンゴルに拠点を置く中国の海外警察もからんでいるとみて間違いないでしょう」(楊氏)
スペインの人権団体によると、中国の警察当局は少なくとも53カ国102カ所に海外拠点を設置しているという。モンゴルだけでなく、日本も含まれている。楊氏が危機感を募らせているのは、まさにこの点だ。
「私の場合、職場の静岡大学の本部にも昨年、中国の警察関係者とみられる人物がやってきて、私を攻撃する怪文書をばらまいているのです」
自らの研究室のすぐ近くまで中国当局が来ている。いつか大型のトランクに押し込められ、船で中国に運ばれるのでは…。半世紀も前の金大中事件(1973年)のような蛮行さえも、中国共産党ならやりかねないと考えてしまう。
楊氏はすでに日本国籍を取得している。それでも安心できないのが実情なのだ。日本人に危険が迫っている、そのことを日本政府は忘れてはならない。(ふじもと きんや)